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2009年3月 7日 (土曜日)

『劒岳・点の記』 新田 次郎 著

book今回ご紹介するのは

新田次郎の『劒岳 点の記』という作品です。

今年の夏に映画が公開されるので書店でも目立つ場所に

現在はあるはずなので目にした人も多いのではないでしょうか・・・。

劒岳の位置はこの地図にあるように有名な立山・黒部アルペンルートの北側にあたります。
山頂付近からはもう富山湾が見渡せます。

大きな地図で見る

event登山ガイドのサイト「信州の旅.com 劒岳 盛夏」

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

この作品はいかにも新田次郎らしい山岳歴史小説です( ^ω^ )

明治40年(1907)当時、国内の地図作成を担当していた陸軍参謀本部陸地測量部の測量手:柴崎芳太郎による当時未踏峰と考えられていた劒岳(2999m)を含む周辺山々の測量の記録を小説にしたものです。

この作品は陸地測量部三角科(測量担当部署)に所属する柴崎芳太郎に5万分の1の地図を完成させるべくまだ未測量のエリアであった劒岳周辺の測量の任務が与えられる場面から始まります。
そしてこの測量登山には同時に軍人である上層部の強い意向で劒岳への初登頂をぜひ陸地測量部の手で成し遂げるようにとのもう一つの任務が与えられましたshine

地図作成は劒岳山頂に測量点を設けなくとも可能でしたが上層部が劒岳への初登頂に拘ったのは当時、国内で発足したばかりの山岳会もこの劒岳の初登頂を目指して準備しているとの情報を得てのことで軍の組織である陸地測量部としては軍の維新とメンツをかけて山岳会の登頂に先んじて劒岳の頂上に測量旗をたてることを柴崎に託したのでした(;ω;)

こうして明治40年4月、本来の測量作業とは別に山岳会との劒岳の頂上を目指す静かな戦いが始まりました。

当時、劒岳は弘法大師が草鞋千足を費やしても登れなかった山との言い伝えもあり
また立山信仰の曼荼羅図では地獄の山、針の山として「登れない山、登ってはいけない山」として地元では畏れられていました。

高校時代にワンゲル部に所属していた私ですが劒岳には登ったことも登ろうと思ったこともありません。
理由は簡単、劒岳は一般人が登れるdanger最高危険度の山として有名なのです。
国内の山としては冬期を除きかなりの頻度で登山中に滑落する人が出るのです。

劒岳の写真を見れば分かると思いますが
ちょっとやそっとじゃ登れそうにない
山容をしています……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ
Photo
山頂に続く尾根は大小さまざまなピークが屹立する難所続きですcoldsweats02

今では危険な場所には鎖場や鉄梯子が設置されていて慎重に登れば女性や子供でも頂上に立つことができるようです。
ただしいろいろな方の山行の記録をネットで見ていると本当に危険な場所が多そうで高所恐怖症の人間には足がすくんで先へ進めなさそうな場所の連続です。(あぁ多分は私は一生近寄らないでしょうね)

物語の方は山岳会よりも先に柴崎等測量隊が劒岳の登頂に成功して当初予定していた三等三角点ではなく四等三角点を頂上に設置して無事に当初の目的を果たすことができたのですが・・・・
測量隊が未踏峰のはずの頂上で目にしたものは陸地測量部の上層部を結果的に落胆させることになってしまいました。

この作品は”組織の中の個”というものを常に考えさせれる作品でした。
特に柴崎測量官と同じ現代の公務員の方々には
いろいろ感じるものや共感するものがあるのでは?

そして、あまり知られていない近代日本を支える礎といってもよい地図を作り上げた男たちのドラマに私は深い感動を得ましたo(;△;)o

日本の山の多くは実は柴崎と同じ様な測量隊によって初登頂されたものが多いとのことです。
今では登山道がある山も明治になって本格的な地図作成のための測量が始まった頃は信仰登山や猟師のほかに人里はなれた奥山に登ろうなんて人はいなかったので当時の測量隊の苦労を想像するに難くありません。

柴崎芳太郎たち測量隊が行った測量は三角測量というそうです。
この測量方法については全く知識がないので参考になるサイトをここにご紹介させていただきます。
 【参 考】
good上西 勝也氏のサイト「三角点の探訪」へ

   三角測量と三角点などについても詳細に解説されています。

柴崎等測量隊は測量官と2名の測手(助手)、地元の案内人、資材などの運搬をする大勢の人夫で構成され深い山に入り見渡しの良い場所(山頂など)を測量点として選び(選点)、そこへ測夫がしっかりした木材で高さ4mほどの三角櫓を立てその直下に三角点となる石を埋設(造標)これを遠く離れた別の場所から特殊な精密機器を使い観測するまでが測量隊の仕事のようです。

多くの人夫や案内人の力があってもやはり山奥の3000m級の山の頂にこのような櫓や三角点標石を埋設するのは大変なことだったと思います。
今でも地図をみれば三角点を示す記号が山奥の登山道も無いようなfuji山頂などにあることがすぐに分かります。
またriceballハイキングで登った山の頂で休憩しているときにふと足元に三角点を示す標石を見ることがあります。

《点の記について》

明治以降の三角点(三等以上)の選定、観測、設置の年月日、担当者名やそこに至る順路などを示した記録がこの作品のタイトルの副題にある「点の記」とよばれるものです。
なんとなく業界用語、隠語の部類に属するものに思われますが正式な書式の名称のようです。
この点の記は現在も国土地理院にて永久保管されているそうです。
点の記については私も少し興味を持って調べてみたので最後の方の”続きを読む・・”をクリックしてください。

さて冒頭にも紹介したこの作品が原作となった映画については下記をクリックしてください。

movie映画『劒岳 点の記』公式サイトへ
   撮影隊の鎖場登山中の動画もあり
CASTは測量官 柴崎芳太郎 役・・・浅野忠信
      案内人 宇治長次郎 役・・・香川照之
            測   夫 生田 信      役・・・松田龍平
           柴崎の妻    葉津よ 役・・・宮崎あおい
            山岳会 小島 烏水 役・・・仲村トオル
公式サイト上で鎖場を撮影隊が登っている動画が公開されていますのでぜひご覧ください。     

映画の公開により明治以降の測量隊の業績に光が当たることを願います。

また2004年には再び現代の測量隊の手により劒岳の山頂に三等三角点が設置されGPS測量により正式に劒岳の標高が2,999mと観測されました。
柴崎芳太郎が必要な資材を運び上げるのが困難なために諦めた三等三角点が柴崎の登頂から100年を目の前にして実現したのでした。
tvこの様子は確かNHKでも特集として放送された記憶があります。

そのときの様子はこちらの書籍を参考に・・・

剱岳に三角点を!―明治の測量官から昭和・平成の測量官へ


点の記は三等三角点以上について記録されるので柴崎芳太郎が劒岳の頂上に設置した四等三角点についての点の記は公式にはないそうですが、こうして三等三角点が設置され点の記が記録され後世までのこされることとなるでしょう。

Photo

▲劒岳・三等三角点の点の記(クリックで拡大表示)
選点の欄に明治40年7月13日の日付
選点者名に柴崎芳太郎の名前があります。

※点の記についてはいろいろ面白そうなので"続きを読む・・・”をクリックしてください。

pc基準点成果等閲覧サービス(国土地理院)

点の記は国土地理院のHPから検索用のID、パスワードを発行してもらい自宅のパソコンで検索、閲覧することができます。
 
good基準点成果等閲覧サービス(国土地理院)へ

私もこの作品を読み終わった後に自宅近くの三角点についてこのオンラインサービスを使って調べてみました。

当町内の最高峰・吹越烏帽子(ふっこしえぼし)の山頂にある三等三角点の点の記はこんな感じです。※点の記では吹越山となっています。
(画像をクリックすると拡大)

Photo_4

この点の記によると
選点が明治28年10月23日
設置が明治32年11月25日となっています。

明治28年といえば柴崎測量官が劒岳周辺の測量をするよりも古い記録です。

一方、実際に測量機器を使って測量する観測は平成18年の日付になっていますがこれは何度か更新された最新の日付だと思います。

このサービスでは全ての点の記が公開されているわけでもないようです。
作品中に柴崎測量官等測量隊が設置した三角点のいくつかは点の記がこのサービスでは閲覧できません。

更に私の家の付近の点の記について調べていたら吹越山の明治28年の選点と同時期に周辺の山で選点作業が進められたことが分かりました。
これらはほぼ測量手:舘潔彦氏によるものでした。

また、柴崎測量官による劒岳周辺の三角点設置の前にすでに立山(雄岳)に測量点を設置したのも立山の点の記によると同じ舘潔彦氏でした。

実はいろいろ調べた結果、この舘潔彦氏は日本の山岳登山史と近代測量の黎明期を代表する人物なのでした。
なんといっても穂高に最初に登頂した日本人です。
このとき彼は測量のために(前)穂高に登り下山中に滑落し生死に境を味わったそうです。
▼そうした逸話も収録されている書籍がこれです。

こうした先人の苦労を知ると
足元にある三角点を見る目が少し違ってくると思いますsmile

【参考】good明治後期の測量登山(PDF)
 柴崎測量隊による劒岳山頂の四等測量点の覘標の写真も

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