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2006年8月15日 (火曜日)

尻屋のまぼろしの灯台の話~終戦記念日にあたり~

本州の外れのこんなところにも太平戦争末期には米軍のグラマン戦闘機がたびたび飛来したようです。

下北半島には軍港・大湊 (現:海上自衛隊大湊地方総監部)が あり、ここが米軍の標的になっていたようです。
横浜町を通るJR(国鉄)大湊線は、この大湊の海軍基地に軍事物資を運ぶ重要な役割を果たしていたものと思われ列車も米軍機の機銃掃射を受けていました。

戦争末期、うちの母親は今でいう小学校5,6年生で、このグラマン戦闘機の機銃掃射を受けたこともあるようですが、本人の語る様子は、沖縄戦や東京大空襲を体験した人が語るような悲惨さは微塵もなく、まるで面白がっているようです。
米軍機パイロットも本気で住民を機銃で狙ったのではなく、ただ逃げ惑う様子が面白くて撃ったのではないでしょうか?
それほど戦争末期の米軍は余裕があったということです。
(今のイラクとおなじ)

ただし命がなくなっていたかも知れないという話もあります。
いつも避難する防空壕に爆弾が落ち、幸いそのときに限って別の防空壕に避難していて危うく難を逃れたというも話です。
これは前日に誰かがこの防空壕が狙われている様子があるといったのを受けて、別の防空壕に逃げたそうです。
また近所のおばさんは当時、まだ小学校低学年で運悪く山の上で米軍の機銃掃射にあい、必至で隠れた草むらでおびただしい毛虫を目にしていらい今も毛虫が全くダメになってしまったそうです。

さて下北半島の北東の端に尻屋崎灯台という古い灯台があります。
明治9年完成のレンガ式灯台で日本初の電灯(アーク灯)を光源にした灯台です。

この灯台も戦争末期にはたびたび攻撃目標にされ艦砲攻撃まで受け遂に職員1名が殉職されています。
その際、灯台の機能も停止(故障)してしまったのですが、明かりの点かないはずの灯台に夜な夜な小窓に明かりが灯るという噂がながれ、実際に灯台の職員も確認したそうです。
やがて一人の漁師が
「夜、船が故障して困ったいたら
この灯台の明かりに導かれ無事、海岸に漂着できた」と
お礼を言いにやってきたそうです。
もちろん灯台は故障中なので、この漁師が見た明かりは例の噂の明かりということになり、これは殉職者の霊だという噂が広まり「まぼろしの灯台」と呼ばれるようになったようです。
今では地元の人間でもこの騒ぎを記憶している人は少ないようです。

Dsc03214今では
この尻屋崎灯台の下に
寒立馬(カンダチメ)という
放牧馬が牧草を
食べるのどかな風景が
広がっています。

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